麗江からシャングリラ(つい最近まで中甸といっていたが改名した) までは5時間のバス旅

邵と和君がバス停までタクシーで送ってくれて、バスの席も確保してくれた。
「麗江に戻ったら一緒に飲もう」
と指切りして二人は帰って行った。



30分遅れで出発したシャングリラ行きのバスは8分通りの客、と見ていたら、
途中で何回も止まっては客を拾い、
人と荷物で足の置き場が無いくらいになってしまう。

60才がらみの日本人が通訳らしい中国人女性と乗り合わせた。
彼は腹具合がおかしいらしく、
バスが山中の一軒家の給水所で止る度に、左右をウロウロする。



運転手が、
「どうしたね?」
と尋ねと連れの女性が、
「トイレ..」
「そんなもの..(あるかい)」
と言った顔で運ちゃんは横を向いて煙草をふかす。
その度に小一時間待たされるのだが、文句一つ言う客は居ない。

標高2400mの麗江から3200mのシャングリラへの道は、所々簡易舗装もあるが、一応舗装道路だ。



道の沿って白波を立てる急流が続く。
上高地まで行って更に槍沢を車で登って行く感じに近い。
幾つかの峠を越えて、草原に出ると 麦の穂が逆光に輝く。
更に進むと、両側に赤、青、黄色、紫、白、いろんな高山植物が咲き乱れる、
こんな景色が何キロも何キロも続いて夕闇の迫るシャングリラの街に入る。


バス停に着くと、曹が飛びついてきた。
彼女の友人の李さん、他に彼女の同僚らしい男女2、3人も笑顔で出迎えてくれる。
直ぐに、案内されたレストランで更に4、5人加わっての歓迎会、
彼等は何かと言うと人を集めての歓迎会だ。



それぞれの自己紹介を、 日本の群馬県に2年住んだと言う苟さんが通訳してくれる。
曹と積もる話も出来ないまま、その苟さんがオーナーだと言うホテルに案内される。
シャングリラの街から1kmも離れた草原の中の真新しいホテルだ。


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朝粥を流し込んで、ホテルの周囲を散歩する。
見渡す限り草原の真っ只中を一本の幹道が横切り、
その道路の沿ってぽつんとあるホテル、



360度が草原だ。
空の青が透き通る、放牧の牛の群れが咲き乱れる花の中でゆったりと草を食む。

群れに近づくと、牛達と牧童が一斉に私の方を向いた。
牛は直ぐに草を食みだしたが牧童は何時までも見ている。
物珍しいのだろうか。





ここの草原の緑は、何と表現したら良いだろう。
新緑の緑とも違う、家の庭の芝生の緑とも違う、何処かで見た緑だけど思い出せない。
秋の尾瀬の紅葉に交じった緑に近いかも判らない、涼しい緑と言ったところか。

今回、シャングリラに招いてくれた曹、正式には曹建蔚、摩梭人と言う少数民族の女の子だ。
建蔚が難しいので私は何時も、曹操的曹(曹操の曹)と呼んでいる。
昨年、麗江で知り合った。
当時のことを思い出す。
彼女は日本語は全く話せない、おのずと、話しは中国語と英語、
ところが、こちとらは中国語も英語もカタコトだから仲々解せない、
「昆明の大学を卒業して、就職したばかりで、まだ見習いです」
「父は普米族、母は摩梭人、摩梭人は人口が余りに少ないので「族」を名乗れない。」
「家は、麗江からバスで10時間ほど北の方向の濾沽湖のほとりの有る」
くらいは理解出来た。
摩梭人は現在でも母系家族制度を頑なに守っている少数民族として知られている。
アチュウと言う通い婚の古代風習が未だに残っているのだ。
この風習についてもいろいろ説明してくれたが、半分も理解出来ない。
翌日、摩梭人の風習が書かれた本を持ってきてくれた。
勿論、中国語でチンプンカンプンだ。
そんな事が何回か続いた或る時、冗談交じりに、
「ボーイフレンドは?」
の質問に対して、彼女の涼しい目元に陰が出来る。
「昆明の大学に付き合ってる人が居ました、だけど、
両親に反対されてお付き合いを止めました」
「何故?」
「彼が漢民族の人だからです」
「あなたのご両親は何故漢民族の人との付き合いを許さないの?」
「習慣とか、物の考え方が違うからです」
「それであなたはどうするの」
「両親の意見に従います」
大きな黒い瞳がますます潤む。
仲間が戻ると、曹は何時もの爽やかな顔に戻り、すっと話題を変える。
そんな事まで話してくれて、何か一肌脱ぎたくなるのだが、
日本ならともかく、微妙な言葉、習慣のニュアンスの異なる異郷、
結局、何もして上げる事が出来なかった。

一年半ぶりの曹は何か吹っ切れた感じだ。
10時に曹と李紅梅が迎えに来た。
李紅梅は、曹の昆明の大学でのクラスメート、
シーサンパンナの方で英語の先生をしていて、
夏休みを利用して遊びに来ているのだそうだ、彼女はイ族。
羅窟帽と呼ばれる真っ黒で凧のような大きな帽子を被る、
独特な民族衣装で知られている、あのイ族だ。

曹の同僚の運転する四駆で、雲南省で最大のラマ教の寺院、松賛林寺へ。



3200mの高所、150段の階段を息も絶え絶えに登り切る、
朝粥一杯の身にはこたえ過ぎる。




 
寺の内部に入ると、両手で抱え切れない程の丸い木の柱が乱立する。
外観は白壁造りだが内部は全くの木造、薄暗い壁一面に壁画、
その一つ一つにストーリーが有るようだ。





曹が一つ一つ説明してくれるが、さっぱり判らない、
ラマ教の知識が少しでもあればと悔やむ。
曹が要所要所の仏像に敬謙な祈りを捧げる。
「あなたもお祈りしなさい」
先ず、両手を合わせ頭上にかかげ、次ぎは胸元、
最後に跪いて両手と額を床に付ける。
教えられたとうりに祈ると、
宗教に全く無関心な私の胸にも、
ふっと、神々しい物が通り過ぎるような気分になる。







御坊さん達が??で飾り物を作っている。
原料は牛乳、これを畳半畳ほどの板の上に平らに広げ型で切り張りする。



更にいろんな色材で染めて、重ね重ねて立体的な絵を作り上げる。
原色の多い色彩豊かな粘度細工の如きだ。 これが祭壇の両脇に飾られる。

 

このお寺には常時500人程のお坊さんが修行している。
お坊さんの衣裳は橙色に近い黄色、タイで見た物と少し色合いが違う。







薄い酸素のせいか、息苦しくなり、
人込みを離れて屋上で深呼吸をしていると曹が心配そうに寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
そんな事から会話が始まる。
「すみません、濾沽湖ご案内出来なくて、
彼がシャングリラで旅行社を始めたの、私は彼を手伝っているのです。 
とても忙しくて、どうしても時間が取れないの、
濾沽湖の私の家に行って下さい、私の妹がご案内します。」
こんな事を言ってるようだ。
真っ黒な潤んだ瞳に去年の寂しげな光は微塵も無く、むしろ輝いている。
充実した毎日なのだろう。
「彼は今昆明に行ってます、2、3日したらシャングリラに戻ります。
戻ったらあなたに紹介します。
新しい旅行社なので彼はあちこち飛び回っています、
だから、私が事務所の雑用を全部引き受けています。」

シャングリラに戻って昼食、チベット料理が並んだが、正直言って全く口に合わない。
ひたすらビールを飲んでいたら疲れがドッと襲ってきた。
午後は紅梅が何処かを案内すると言うのを断って、ホテルでダウン。


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夕方、シャングリラの街をぶらつく。
シャングリラは廸慶チベット自治州の州都、雲南とチベットを結ぶ交通の要所だ。
州の人口は32万人、その84%がチベット族、リス族、ナシ族、イ族などの少数民族、
チベット族が一番多い。
廸慶はチベット語で「吉祥如意の地」の意味だそうだ。
だだっ広いメイン通りが街の中心を貫き、
その道に面して銀行、郵便局、ホテル等のいろんな建物が並んでいる。
一番高い建物で10階くらいか、地図で見ると、
街の一角に古城と言う地域がある、其処が旧市街だろう。
まあ、埃っぽい田舎町と言ったところだ。
どれがどれだか判らないが、いろんな種類の民族衣装の人達に行き合う。



キョロキョロしていたり、大きな荷物を抱えていたりしているところを見ると、
もっと奥の方から街に買物に出てきた人達のようだ。

曹から電話が入る、
「ご飯食べたか?」
「ゆっくり休めたか?」
「何処へ行ってた?」
とか、結構うるさい。
「明朝9時に李が迎えに行く」
「夜は一緒に食事しましょう」
矢継ぎ早に、喋るから、こんな事しか理解出来ない。
面と向っている時は、直ぐ筆談になるのだが、電話は不便だ。
それにしても、曹は全く元気になった。

改めて地図を眺めていると、比較的近くに「岩絵区」というのを発見。
もしかしたら、Hさんの言っていた「岩絵」が
此所で観れるかも判らないとおもうとゾクゾクしてきた。

モタモタして9時過ぎに食堂へ行くと、もう電気が消えている。
「近くに食堂有る?」
と尋ねると、
「一寸、待って下さい」
と、奥に消える、1分もしないうちに、食堂の電気が点いた。
さっきの女の子ともう二人の女の子、
食堂係りか、料理人らしい若い男も入ってきた。
「何を食べたいですか」
「魚、有る?」
と聞くと、若い男が手招きする、付いて行くと料理場だ。
女の子も三人ががぞろぞろ付いて来る。
生簀に何匹か魚が泳いでいる、鯉らしい。

100人も入れそうな大きな食堂、
沢山並んでいるテーブルの一つに「紅焼魚」と ビールが並ぶ。
一人では寂しいのではとでも思ったのだろう。
6、7人の男女がテーブルを取り囲んでワイワイガヤガヤ何かと世話を焼く。
受付係、食堂係、守衛さん、コックさん、マネージャー達、
皆10代、20代の健康そうな若者達だ。 





どの笑顔にも全く邪気を感じない。 
彼らは3日間、ぶっとうしの勤務、72時間勤務して、24時間休む、
そんな勤務体制だそうだ。 
自己紹介をしてくれる、殆どがチベット族、一人だけがナシ族。

さっきの「岩絵区」のことをみんなに聞いてみた。
皆で、ああだ、こうだ、話し合っていたが、誰も判らないようだ。
一人が、
「この辺の事に詳しい友人が居るから」
と電話する。
「車がやっと通れる道を半日行って、
あと、凄い山道を歩いて半日、とても辺鄙な遠いところだ」
だそうだ、危険も伴なうらしい。
今回の体調では残念ながら断念するしかない。
部屋で紹興酒をしこたま飲んでダウン。

続く

 

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