フフホト(呼和浩特)

大同から列車でフフホトへ入る。
途中で万里の長城を通り越したはずだがウトウトしていて見過ごした。



フフホトは「青い都」を意味するそうだ。。
大平原の中のぽつんとした街を予想してきたが大都会だ。
大通りは車がごった返していて横断するのに苦労する。

内モンゴル自治区の区都で、人口は150万人、モンゴル族は20万人程度。
紀元前3世紀頃に匈奴が住みつき、漢との戦いを明け暮れする。
紀元前2世紀に漢の武帝に破れ勢力が衰る。
以後、鮮卑族の北魏、トルコ系の柔然・突厥、契丹族(遼)、女真族(金)、
13世紀になると元の支配下におかれ、
モンゴルが最も繁栄した時期を迎えた。

清代になって中原の支配下に組み入れられ、
1915年にモンゴル・ロシア・中国との間で交わされたキャフタ条約で、
内モンゴルと外モンゴルに分割。
日中戦争時は、日本が内モンゴルの一部を支配した。


王君墓。
まず訪れたのが中国の四大美女の一人、王昭君の墓。
漢王朝が匈奴を懐柔すべく匈奴王呼韓邪単于のもとに送りこまれたのが王昭君だ。
臣下の策謀で一度も王昭君顔を見たことの無い漢王は、
いざ輿入れの時、
初めて王昭君のたぐい稀なる美貌に接し慌てふためいたが後の祭りだった。
煌びやかな生活から一変し政略結婚の犠牲となり、
僻地の蛮国へ嫁ぐ王昭君に対し人々は憐情の涙を流した。
王昭君が存命の間、漢と匈奴との争いは無く立派に任務を果たし、
匈奴では賢王妃と仰がれていたらしい。

もっとも、王昭君輿入れ動機には諸説がある。
自ら進んで嫁いだ、
いや、お金に不自由して嫁いだ、等々。

後世、様々な伝説が伝説を生んで犠牲精神の塊の美女として定着した。
現代の中国でも、四大美女の中で一番人気が高いのではないだろうか。






フフホトの街から車で二時間程、それ程険しくは無い峠を越えると大平原に出る。

 



 



大平原の中に幾つかのパオ群がある。
観光客用のパオだ。
モンゴル料理を食べ、乗馬したり、モンゴル相撲を見世物にするツアーが組まれている。


馬に跨り草原を一周する。
いい気分だ。


モンゴル衣装の若者達がモンゴル相撲を始める。
まず、全員の儀式がある。
鷲が空から舞い降りる如くだ。

 

始めは笑みが零れていたが、その内に真剣な表情で取り組みだした。
仲々、迫力がある。
日本相撲のような土俵はない。
相手を倒すまで続く。

 

勝者は、あの朝青龍が最後の仕切に入る時のように、
両手を鷲の羽のように高々と広げ、
広場を一周し勝ち名乗りを上げる。


次は何頭かの馬が全速力で彼方から此方へ駆け抜ける。

 


やがて、大平原の日没。
静かだが豪快な夕焼け、
何時までも何時までも見とれる。





日が沈むと広場に火が点され、
踊りの輪が出来る。

 

 

客もガイドもパオの人々も一緒になって踊りだす。
雄叫びを上げる。



しこたま強烈なモンゴル酒を飲まされて
何時どの様に寝床に入ったのかも定かでない。

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草原の朝は清清しい。
此処ではオートバイもレンタル出来る。
この大草原を乗り回したらさぞかし爽快だろう。
頻りに薦められ、その気にもなったが諦めた。
いい年をしてもしものことが有ると大変だ。

 


大草原の帰途立ち寄ったのは白塔、
正式には万部座舎利経塔だそうだ。
フフホト郊外17kmにぽつんと立っている。、
時を刻んだ白色が青空を突く。
美しい中に気迫を感じる。

中国へ来ても塔ばかりを巡り歩き、
他に関心を示さない友人が居るが、
その気持ちの一端が判るような気がする。
塔にも顔があり、匂いがある。



薄暗い階段を50m、頂上まで上り詰める。
此処はフフホト郊外17km、
周囲には普通の田畑が広がる。
周囲の壁に彫りこまれた仏像の数々は精巧だ。




慈灯寺の金剛座舎利宝塔(通称:五塔寺)
一つの塔の上に五つの塔が乗っかっている。
珍しい塔だ。



外壁一面に彫られている仏像、
これまでかこれまでか、と言う執念を感じる。

 

様々の文字の石碑、
漢字、女真文字、モンゴル文字、チベット文字、
これらがフフホトの生い立ちを語る。

 
 

フフホトの街を歩く。
何処が何処だか判らなくなった。

 

 

  

 

   

 

下のような建造物が随所に見られる。
お寺の門のようにも見えるが、覗き込んでもお寺は無い。
門だけ残ったのだろうか。

 





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